「美術が好きな一人の人」という眼差し。
先日とあるお客さまとお話していた時のことです。
その方は前から好きな美術作品を買う方で、一般的な「絵を買う」という感覚からするともしかしたらその頻度は高い方かもしれない、という印象でした。
その方に言われたことが
「たまに私コレクターさんと呼ばれることがあるのだけれど、私自身コレクターという自覚は全く無いんです。好きな作品と出会って、それが自分の生活に付き合ってくれそうだったら購入させていただいているだけで、集めるのが目的ではないので。」
というものでした。
その時は「ああ、この方はそうなんだな」という風に思っただけだったのですが、何となくそのことが頭に残る日々でした。
その数日後、友人と話していた中で
「美術品て人生でそんなに何度も買う物じゃないよね」
と言われた時に「一般的に作品を購入することってやはりそういうイメージなんだなぁ」と思ったのですが、その友人に「でも買う人は買うのだろうね」と言われた際、急に先のお客さまのお話を思い出しました。
その友人のイメージだと「何度もリピートして作品を買う人」は「コレクター」というカテゴリーに入るという風なのでしょう。
では先ほどのお客さまは自分では否定していても、やはり側から見ると「コレクター」になるのでしょうか。
私としてはそのお客さまを「コレクター」として見たことはありませんでした。
実際に当画廊でも作品をお求めくださったこともありますし、他の画廊さんでも購入したお話は本人から聞いて知っています。
ですがどうにも「コレクター」としてカテゴライズするには違和感がありました。
もちろんご自身が否定している、ということもあるのかもしれません。
ですがそれ以上にそのお客さまの作品の向き合い方は「コレクター」というある種特別な枠組みにあえて入るようなものではなく、単純に「美術が好きな一人の人」というイメージが強い印象が私にはあります。
人として生きる以上、できれば好きなものに囲まれていたいと思うのはわりと一般的なことかと思います。
普段使いする日用品も自分の好きな色や柄を選びたいし、普段口にする食べ物もできるなら好きな食材や料理にしたい。
生活を送る上でそんな風に思うのはわりと多くの人にあるかと思います。
私が思うにそのお客さまの美術作品の買い方は、あくまでその延長上にあると思うのです。
空いている壁に好きな絵を飾りたい、自分の生活空間を自分の好きな雰囲気にしたい。
同じ生活をするなら、好きなものに囲まれて生活をしたい。
それはまるで自分という一人の人間の生活を自分のカラーに染め上げていくような、自分の人生を自分でしっかり歩むことに似ているような、そんな気がします。
もちろん上記のお客さまのような「コレクター」の方々もいらっしゃると思います。
ですが私の友人のように美術作品を買うことにそこまで親しみがない人、つまり一般の人々からするともしかしたらこの「コレクター」というカテゴリーが見えない壁を作ることもあるのかもしれない、と感じました。
「美術作品は極々稀に買う物」「そういう物を頻繁に買うのはコレクターと呼ばれる人種」「だから自分達とは違う人たちなんだ」
そういう風なイメージもあるのかもしれません。
けれども私から言えば「コレクター」を名乗る人もそうでない人も、自分の中の「好き」という基準で美術作品を買う以上は、「自分の生活に自分の好きな物を置きたい」という上で同じ「美術が好きな一人の人」だと思います。
もしこれを読んでくださっている人の中で「美術作品を買うことに興味はあるけれどいまひとつ手を出せないでいる」ような方がいるようであれば、「好きだな」と思えた作品を買ってみてほしいな、と思います。
現代日本の文化では絵を飾ることはレアな方とよく言われます。
ですが「好きな絵」を飾ることとは「絵を飾る」という行動以上に「好きなものを生活に置く」という意味合いが強いと思います。
「自分の生活に自分の好きなものを置いていく」
シンプルにこう考えてみると作品を飾ることは決して珍しくも難しいことでもなくなるのではないでしょうか。
もし今後作品を見た中で足が止まるようなものと出会えたら、その作品を生活に置いてみる想像をしてみてください。
あるいは美術館など販売が行われていない展覧会でもかまわないので「この中で一枚持って帰るなら」という視点で見てみてください。
今までとは違う美術への視点、そして自分自身を発見できるかもしれません。
企画画廊くじらのほね
飯田未来子
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【開催中】
企画展「梅雨色降る頃」
2022年6月20日(月)まで
10:00~20:00 火曜・水曜 定休
《参加作家》
小笠原亮一 / 刑部真由 / 中條いずみ / 生江葉子 / ひろせ まな
Web Galleryも公開中です。お気軽にご覧ください!
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