作品を見ること。
こんにちは。
とても久しぶりのブログとなってしまいました。
皆様お元気ですか?
私事ですが先日デジタル一眼レフカメラの新しいレンズを買いました。
昔の使い捨てカメラのような風合いに撮影できるレンズで、なかなかピントを合わせるのは難しいのですが、子供の頃によく見ていた写真のような雰囲気が出て面白いです。
このレンズを使って展示風景を撮影してみたのですが、普段のレンズで撮影したものとはだいぶ雰囲気が異なります。
同じカメラでもレンズを変えれば異なって写り、同じ写真でもiPhoneで撮影したものとはまたやはり異なります。
同じ機械でもどんなレンズを通してどんな仕組みで写すのか、それで物事の見え方はこんなにも変わるのかと思いました。
物事の見え方に関して。
同じ物でも環境が変われば見え方も変わると思いますが、上述のカメラの話のように環境が全く同じでも見る者のコンディションが変われば見え方は変わると思います。
人は常に「その時の自分」というレンズを通して外界の物を見ているのではないでしょうか。
「悲しんでいる自分」を通して外を見ればいつも見ている物や風景もどこか鬱々と映るかもしれませんし、逆に自分を励ましてくれているかのように見えるかもしれません。
自分にとって外界にある物は、自分が「見て」初めて自分にとってそれは存在することになると思います。(自分が一生それを見ないままだとその存在は自分にとって「無い」ことと等しいと思うのです。)
大学の頃の恩師は「見る」から「在る」とおっしゃっていましたが、そうである以上物の存在とは見る者によって恣意的に意味付けられていくのかもしれません。
ひとつのリンゴをAさんとBさんが見たとして、Aさんはリンゴに素敵な思い出があるのならそのリンゴも肯定的に目に映るかもしれません。逆にBさんはリンゴに嫌な思い出があったとしたらそのリンゴも否定的に見えるかもしれません。
このように普遍的に見ればリンゴはただひとつの物として存在しているだけでも、見る者によってその存在の意味は変わります。
ひとつの物には人の数だけ在り様があると思うのです。
そういう風に人は物を見ていると考える中で、美術作品を見ることもその例外ではないでしょう。
ひとつの同じ作品を見るにしても、その作品に対する反応は人さまざまだと思います。
その中で「感動する」という反応をとる人がいた時、その人にとってその作品は単なる「物」という範疇から外れ、何か特別な存在に位置するのかもしれません。
これは私の個人的な経験に基づくことなのですが、自分の中の感情を揺さぶってくるような作品を見たとき、それは「物を見る」というよりは「人と出会う」という感覚の方が近い気がしています。
人が人を見るとき、後ろ姿や遠くの人など一方的に見ている場合は物を眺めることとさほど差はないかもしれませんが、人と人が出会う時、つまりお互いに目と目が合う場面において、それは見ると同時に見られていることになります。
相手の存在を見るときに自分の存在も相手に見られる…それは自分の存在を「在る」ものと認識する相手を見ることであり、相手を通して自分で自分を認識する行動となります。
そう考えると誰かと出会うということは、自分と出会うことでもあるのかもしれません。
そして人が他の存在を通して自分を見つけられたとき、それが肯定的であれ否定的であれ、感情が動くのではないかと思います。
こんな風に「人と出会う」かのように対峙できる作品は、私のことを見つめ返してくるような感覚になるものが多いです。
ある意味で、私が感動する作品はもしかしたら「目を持っている作品である」と言っても過言ではないのかもしれません。
(そういえば主張ばかりが強い「口」をもつおしゃべりな作品や目も口も持たないのっぺらぼうのような作品は昨今多いですが、静かに黙っていても存在感がある「目」を持つ作品とはなかなか新たに出会えないなと個人的に最近思います。)
どうしても流行や作者名など「情報」を見て作品の良し悪しを決めがちですが、できれば作品そのものと純粋に向き合って自分でその価値を見つけ、その喜びを体験していくことが芸術の最高の楽しみ方ではないかと私は考えます。
他者が作ったものを素直に見て感動するほど、自分を励まし勇気づけてくれる経験もそうないと思うのです。
自分のことを全く知らない作者の作品に価値を見出せたなら、それは作品を通してその作者と価値を共有することであり、そこには忖度もお世辞も何もない「自分」への純粋な肯定があり、「この感性を持っている者は自分たった一人だけではなかった」と見る者の孤独を和らげる力があると思います。
そしてそうやって自分で見つけた価値ある作品を買うこと、それは作品と作者への最大の賛辞でありその価値共有に対する喜びを全力で受け止めることに他ならないのではないでしょうか。
作品に限らず、物の見え方が唯一普遍では無いと思うとこの世界のあらゆる事物は一面的ではなく見えてきます。
「世間がどう見るか」ではなく「自分はどう見るか」、沢山の「情報」という曇りに惑わされすぎず自分というレンズを磨くこと、これはもしかしたら作品を見る上でだけでなく生きていく上で大切なことかもしれません。
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