無人島サバイバル

作品 / 「イノセント」


「もしあなたが無人島に流されることになったとして、他に何にも持ってはいけないが、この中のどれか一枚だけ絵を持っていけるとしたら、どれを選びますか?」

先日榎並さんが在廊中に、お客さまへ問いかけた言葉。
お客さまはさっきより真剣に、その一枚を選びはじめた。


✳︎


自分ひとり未開の島に残されて、友人どころか人間が誰もいない。
どうやって食料を得るか?虫や動物をさけて安全に眠る場所はあるか?

生存していくために必要な道具も武器も何も持てないが、ただ一枚、絵を持って行けるという。
そんなときに、人はどんな絵を選ぶのだろう。

絵は何にも役に立たない。
食べられないし、乗り物にも、衣服にも、住居にもならない。
外敵から身を守る武器にもならないし、当然お金なんて無い世界だから換金して生活の足しにすることもできない。
むしろサバイバルには邪魔な荷物となるだろう。
それでも絵を、不用なものを、私たちは持っていくだろうか?

不安と孤独。
私なら、それらに支配されると思う。
今日、食べ物を得られないかもしれないという不安。
いつどこで虫や動物に襲われるかわからないという不安。
明日を生きて迎えられるないかもしれないという不安。
そして、孤独、孤独。

人は祈らざるをえないのではないか。
どの宗教のどの神様に、という話ではない。
自然に、あるいは、何か大いなる力に。
残念ながら私はサバイバルに必要な体力も知識も、精神力も持ち合わせていないから、ただただ、弱さ、無力さを痛感し、いっそ死んだ方が楽になれるとも考えるだろう。
それでもほんの少し生にしがみつけるとしたら・・・人は祈らざるをえないのではないか。

現代の社会には、無人島生活みたいな側面があると思う。
不安や孤独は様々に形を変えて染み出てくる。

「祈り」とは、神仏にお願いをする、という意味だけでは、決してないと思う。
もっと日常のなかにあって、それは呼吸をするかのように
大切な人やものごとを想ったり、何かを愛おしいと思うこと。
誰かの、また自分自身の、心からのことばを聴く時に。
そんな生活的なものではないかと私は思う。

絵は、祈りの拠り所だ。
その意味ではイコンや仏像にも似ているかもしれない。
安心できる場所などない世界で、生と死に挟まれて日々を送らねばならぬとき、
誰かがつくった「いのりのかたち」は、そのまま自分自身の祈りとなる。


✳︎


お客さまは再びじっくりと展示室を一周しなおした後、「これです」と一枚の絵を指した。

「あなたがこれを選んだということは、あなたの中にある何かが、この絵と呼応したということ。絵の中にある形や色が記憶の蓋を開けたのかもしれないし、モチーフが好みなのかもしれない。≪私はなんでこの絵を選んだのだろう?≫と考えてみることは、絵を通して自分のことについて考えるということ。発見するということ。絵を見る醍醐味はそれです」

画家はそう締め括った。


✳︎


情報の多すぎる現代で、自分の心の奥の「好き」を大切にすることが、どんなに難しいか。
静かに耳を澄まして、自分の声に耳を傾ける時間なんて、そうそう無いのではないか。

絵を通して自分の中のちいさなちいさな声を聴いてあげること。
それを通して、自分にとってほんとうに大切なもの、大切にしたいものを見つけることができたら、それは一つの道標になるかもしれない。

無人島のように殺伐とした世の中で、すこしでも心たしかに生きていくために、
ささやかな祈りの拠り所を、私は生活の中にそえていたいと思う。


企画画廊くじらのほね
飯田洋平


✳︎ ✳︎ ✳︎


榎並和春 ドローイング展

「いつものように」

4月28日(水)〜5月15日(土)

火曜日定休

作家来廊日:5月8日(土)


本展は同じ西千葉の山口画廊さんとの合同開催です。

山口画廊さんではタブローを、くじらのほねではドローイングを展示いたします。


【お問い合わせ】

Tel:070-3191-4572

Mail:gallery.kujiranohone@gmail.com


※展示作品に関するお問い合わせは原則会期初日より受付させていただきます。

※お電話やメールでのお問い合わせに関して、会場接客がどうしても優先になりますのですぐにお応えできないこともございます。ご了承ください。


企画画廊くじらのほね Web Site

http://www.gallerykujiranohone.com




コメント

このブログの人気の投稿

やわらかな風のように - くじら便りvol.1

「少女」という形を纏った感情を - くじら便りvol.3

本オープンのお知らせ。