浅見哲一さんの絵についての思い事。

 



こんにちは。

ブログはすっかりお久しぶりとなってしましました。

今日は浅見哲一さんの作品について思い事を書いてみようかな、と思います。


現在くじらのほねでは「浅見哲一個展 夜の在り処」を開催中です。

こちらの展覧会、会期が早くもあと1週間で今月23日までとなっております。


くじらのほねの展示は完全に企画展のみで、たまに作家さんの選考基準などを尋ねられることがあります。

「選考基準」なんて書くとなんだか偉そうですが、当画廊ではシンプルに運営している私たちがその作家さんの作品が好きかどうかで判断させていただいております。

贅沢にも、本当に好きになってしまった作家さんのみに展覧会をお願いしている状況です。

というわけで浅見さんの作品も当然「好き」から出発しており、個展を実際に開催する前から別の画廊さんで作品を買ってしまうほど好きでした。

しかしこうして「展覧会」を開催するという形で浅見さんの作品と接し、日々作品に囲まれて過ごしていたら、なんだかゆっくりゆっくりじっくりじっくりと私の中の「好き」の温度が上がっていくのを感じており、「まだまだ好きになれたんだ!」と自分でも少し驚いております。


浅見さんの作品は一見すると地味と思われてしまうかもしれません。

ぱっと見て勢いよく視界の中で主張するような艶やかな色遣いもなければ、誰もが目を引く目立ったモチーフがあるわけでもありません。

ですがじっくりと時間をかけて向き合い、眺めていると、静かにゆっくり心の深いところへと優しく刺さってくるものがあります。

その心に刺さったものが日々大きくなっていくような、まるで種から発芽した植物がゆっくりじっくり上に伸びて育っていくような、そんな柔らかい速度でなんだか「好き」が育っている、日々そんな感覚を抱きながら展覧会会期を過ごしております。

生活の中に絵を飾ることにおいて、もしかしたら浅見さんの絵はある意味でとても飾りやすいのではないかとそんな体験をしながら最近思います。

暮らしの中にすっと溶け込み、じっくりとそこに根を下ろしていくような、そんな力のある絵。

気取らず、手垢にまみれた生活スペースの片隅に不思議と飾れてしまう魅力的な素朴さ、それでいて飾る前とは確実に何か違った空気感を作り出す絵。

こんな絵が描ける人は、一体何人いるのでしょう。




そんな風に絵を眺めていると、浅見哲一という人物は徹底して画家であると同時に徹底して生活者なのだな、とそんなことを思いました。

生活の中から眺めた世界、あの日の仕事帰りに見上げた夜空、忙しい日々の中安らぎを求めて描いた絵…浅見さんの絵は生活と切っても切り離せない、だからこそ輝く魅力がそこにあるのだと、私はそう思います。


なかなか外出が厳しい世の中、展覧会にも足を運びにくいと思います。

ですがもしお近くお立ち寄りのことがあるのなら、ぜひ絵と対峙してみて欲しいと願います。

Web Galleryも公開はしておりますが、やはり原画を見なければ感じられないものが多いです。

少しでもご興味を持たれた方は、ぜひくじらのほねで会いましょう。


企画画廊くじらのほね

飯田未来子

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