本当に好きだと思った作品を買うこと。
こんにちは。くじらのほねです。
だいぶ暖かい日が増えてまいりました。お散歩ついでに画廊へ立ち寄ってくださる方も今日は多かったです。
当画廊がオープンしてから5ヶ月目に入りました。
誰でも気軽に入れる画廊をずっと目指しておりますが、ありがたいことに普段画廊という場に馴染みのない方や、これまで画廊に入ったことが無かったという方にも扉を開けていただくことが増えてきたように思います。
「ずっとどこか他人事だと思っていた芸術の世界に、自分も入ってみていいんだな、入りたいなと思えました。」
こんな感想を今日はいただき、とても嬉しかったです。
まだまだ絵を家に飾る文化が根付かない日本ですが、自分が「好き」だと思った作品にお金を払って日々眺めて暮らすとはどういうことなのか、色々と考える時があります。
絵をはじめとする芸術作品はわかりやすい役割を持ちません。
食べたり乗ったり着たりという、物的に人に何かを施すことができない存在です。
しかし作品は「物的な役割を持たない」からこそ良いのだと考える時があります。
物的な役割を持たない絵を買う時、多くの人の理由としては「その絵に感動したから」「その絵が好きだから」という場合が多いでしょう。(中には投資の名目やネームバリューで買う人もいますがそれはまた別の話です。)
作品に限らず「不要不急のものだけれど、自分が好きだから買う」というときの買い物というのは、その品に対してだけでなく、自分自身の「感動」だったり「好きという感情」だったりにもその価値を払えるということです。
本当に好きで作品を買うというのは、ある意味で自己肯定でもあるのだと思います。
と同時に自分のスペースに不要不急の存在を置いておける「心的な」余裕のある現れでもあると感じます。
つまり好きな作品を買って飾るとは、自分の「好き」をそれだけ肯定していることになり、それは自分自身という存在への肯定でもあるのではないかと思うのです。
「絵を飾っていると励まされるのです」という方が多い印象を受けますが、そういう方は本当にその絵を気に入られて買ったのだろうな、と感じます。
自分の「好き」が絵に投影され、回りに回って自身を肯定するからなかもしれませんね。
人の「好き」という感情や感動を引き出す、もしかしたらそれが作品を買うということの真価なのかもしれません。
企画画廊くじらのほね
飯田未来子
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