【コーヒーを飲みながら読むアートのお話 Vol.2】

 


こんにちは。くじらのほねです。
前展示よりひっそり作ってみましたフリーペーパーですが、こっそりVol.2も作っておりました。
新倉さんの絵を挟みながら文章を展開させていただいております。
とは言ってもまだそこまで置き場所は多くなく、Vol.2に関しては今のところ幕張にあります「Pie & Coffee mamenakano」さまにてお手に取ることができます。

今回も下記に同文章を掲載しますので、よかったらお付き合いください。
画廊という場所はそもそもどんな所か、ということを個人的視点から簡単に書かせていただきました。
人によって様々な意見や考えがある議題だと思いますが、「これ」という正解もまた無いものだと思います。
こういう考えで画廊を営んでいる人もいるのだなぁ、というくらいの軽い感覚でお読みいただければ幸いです。



***


【コーヒーを飲みながら読むアートのお話 Vol.2】

画廊を開業してから3ヶ月が経とうとしている。

てんやわんやしながらなんとか出船したわけだが、船を漕ぎ始めて強く感じたことがひとつある。それは「画廊」という場の存在が、いかに一般の方々にとって縁遠いものと思われているかということだ。「画廊を開いた」というと何人かに一人は「画廊ってそもそも何?」と返ってきたし、存在を知ってはいても「入ったことがない」という方が周囲だけでも多い。多分この文章をお読みになってくださっている方の中でもそういう方はいるのではないだろうか。


では画廊とは何か。


流石にこんな率直な質問を投げてくる人とはお会いしたことはないが、実は私も一言で答えられる単語がまだ見つからないでいる。少し長い答えを言うならば「少なくとも私の画廊は街の美術館であり、街の絵のお店でありたい。」と答えるかもしれない。

ここで「私の画廊は」とつくのは、画廊という形態は画廊主の数だけあると言っても過言ではないからだ。

例えばカフェという場なら、どんなに店のオーナーが違っても「カフェ」という単語によって自分がその場に入った後の行動を予想することは可能だろう。(入店→注文→飲食→支払い という一連の流れがイメージしやすく、この流れの順番は様々でもだいたいのお店において共通イメージとして入る前から想像ができる。)

しかし画廊はどうだろう。「絵をはじめとする美術作品を扱う」という点ではだいたい共通すると思うが、その扱い方や見せ方は本当に画廊によりけりである。それゆえ美術にそこまで深く関わったことの無い方から見ると、画廊という場所に入ったあとの自分の行動や役割が読みにくいのではないかと思う。

さらに一昔前には高額絵画の無理な売り付けや、高級感を演出した敷居高い雰囲気の絵画販売所などが目立った時代があったが、その強烈なイメージだけが社会の中で未だ一人歩きしている印象もある。実際に行われていたことではあるが、蓋を開けるとこういったことに積極的に関わっていたのは多くの画廊というよりも、わずかな企業である。しかし「絵画を売り買いする場」という共通点において勝手に画廊という場所が紐付けされてしまい、未だ画廊は「敷居が高い」「入ったら絵を買わなければならないのではないか」というイメージに翻弄されている。


私はそういった類のイメージを積極的に壊していきたいと考えている。少なくともくじらのほねに関しては「街の美術館であり、街の絵のお店」として楽しんでいただけたら幸いに思う。カフェに入ってコーヒーを嗜むように、本屋に入って好きな本を探す様に、画廊に入って絵を楽しむ…そんな風に日常生活の中の楽しみの一部に自然となれたらこんなに理想なことはない。そしてもし見た絵の中で本当に感動し、一緒に生活したいと思える絵と出会えたら、その時に初めて「絵を買う」ということを考えてくれたらと思っている。


多くの画廊はきっとその画廊主が思う素敵な作家さんの作品展を行っている。画廊の扉をひとつ開ければそこにはきっと今まで見たことのない世界が広がっていることもあろう。それをもっと多くの人に気軽に楽しんでいただける世界になれば嬉しく思う。


文:飯田未来子



***



ご一読ありがとうございました。



企画画廊くじらのほね

飯田未来子



コメント

このブログの人気の投稿

やわらかな風のように - くじら便りvol.1

「少女」という形を纏った感情を - くじら便りvol.3

【お知らせ】くじら包みを贈ります。