絵との生活の可能性を考える。

 


こんにちは。くじらのほねです。

こちらではお知らせしそびれておりましたが、青木香織個展「かげおくり」、先週展示替えを経て後半に入っております。

気づけば来週月曜日で今展も終了です。

長い会期と思っていましたが始まってしまうとあっという間ですね。


先日行きつけのコーヒー屋のオーナーさんとお話をしている中で、美術館で絵を見る心持ちと画廊で絵を見る心持ちは違うことがある、という話題が出てきました。

「美術館で絵を見るときは、目的が「見る」ことに尽きるけれど、画廊で絵を見るときは気に入った絵と一緒に生活できる可能性を踏まえて見ると見方が変わる」

というような内容だったのですが、これは結構大切なことかもなと思います。

美術館と画廊は「絵を見る場」という点においては同じですが、その先の展開があるのは画廊ならではかと考えます。

美術館では絵と鑑賞者は「見られる側」と「見る側」という異なる立場で終始平行線上ですが、画廊は「見られる側」と「見る側」のふたつが「購入」という事柄で交わり、先の生活を共にすることが可能です。

絵と鑑賞者が一線上に立てる可能性がある点においては、画廊は美術館と異なると言えます。

しかし上記のように画廊の中で、先々の可能性を見据えて絵を見るということができる人はまだまだ少ない印象もあります。

そこは本来画廊がお客さんの見方と意識を少しずつ変えていく役割を担っていると思うのです。


「絵を買う」ことには物的豊かさを超えた、言葉や理屈も必要としない先にある心的豊かさがあります。

それは見る人によっては「無駄」な行動かもしれません。

しかし、その「無駄」が日常の中に穴を空け、隙間風を通し、常に新しい空気を入れ換えてくれると思います。

今度画廊に初めて入る人がいるのなら、「気に入った絵があれば今後一緒に生活できるもの」という認識を頭の片隅に入れて足を踏み入れてみてください。

きっと今までとは違う絵の見方ができると思います。


企画画廊くじらのほね

店主A  未来子


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